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かつての隆盛よ、再び。 時代に沿って変わりゆく、静岡の芸妓文化

かつての隆盛よ、再び。 時代に沿って変わりゆく、静岡の芸妓文化

花柳界が盛り上がりを見せた大正、昭和初期。始まりは江戸時代とも言われ、元々は、三味線を弾いたり芸を披露したりする男性を指していたとか。
静岡県でも脈々と受け継がれてきた芸妓文化。その“今”にスポットをあてた。


芸妓文化とは

芸妓とは、日本の伝統芸能である「唄」「踊り」「三味線」を披露し、宴席を華やかにさせることを生業とする女性のこと。「芸者(東京)」と呼び、見習い期間は「舞妓(京都)」、「半玉(はんぎょく・東京)」と呼ぶなど、地域や経験によって名称が異なるのも興味深いところ。芸妓が多く出入りするエリアを花柳界(かりゅうかい)と呼び、江戸時代中期頃より盛んになったという。
幼いころから置屋(芸妓が所属する事務所のようなもの)に住み、先輩芸妓と共同生活をしながら作法や舞、着物の着付けなどを身につける。一人前の芸妓と認められるには、相当厳しい稽古を積まなくてはならないが、さらに花柳界が華やかさを増した明治時代初期、芸妓を目指す女性が多く存在したという。

静岡県における芸妓文化の歴史と現状

静岡県においても芸妓文化は着々と養われてきた。特に温泉文化が発達し、旅館が立ち並ぶ県東部においては現在でも置屋が多く、熱海芸妓組合は東海一と呼ばれていたこともある。また、伊豆長岡には芸妓学校も誕生。当時は京都と伊豆長岡にしか存在せず、話題となったそう。
港町である清水エリアもまた芸妓の多い街であり、昭和26年に清水芸妓学校を開校。静岡の芸妓は全国的にも評価が高かったという。
しかし、娯楽文化の変化により花柳界は華やかさを潜め、さらに幼いころから修行を積まなければならないという職業スタイルが現代にそぐわず、芸妓のなり手が激減。
古き良き日本の伝統文化はこれからどうなっていくのだろうか。

各地域の取り組み-湯めまちをどり「華の舞」

60年の歴史を持つ「熱海芸妓見番歌舞練場(熱海市中央町17-13)」。「見番」とは稽古場の意。ここでの厳しい練習が、熱海の芸妓文化を支えてきたのかと思うと少々感慨深いが、ノスタルジックな雰囲気とタイムスリップしたような非日常感が心地良い。
平成10年。熱海の芸妓文化を積極的にアピールしようと一般公開させ、「湯めまちをどり『華の舞』」を披露。それが功を奏し、公開している土日は予約しないと入場できないこともあるほど人気。今でも70ほどの置屋、120名ほどの芸妓が活躍するという。

(写真)
湯めまちをどり「花の舞」は、毎週土日11:00より開演。終了後に芸妓と記念写真が撮れるとあって大人気だ。

新しい試みで新たなファンをつかむ

伊豆長岡の芸妓文化を守っている「伊豆長岡芸能事業協同組合(伊豆の国市長岡1037)」。大正末期に建てられた問いその建物の入り口には「静岡県芸妓学校」の看板が。そう、ここはもともと既出の芸妓学校だったのだ。
伊豆長岡の芸妓は現在15人。かつて400人もの芸妓が活躍していたことからも、芸妓文化の衰退は危機的状況ともいえる。そんな中、稽古場を一般公開したり、自主公演の舞台を行ったりするなど様々なイベントを開催。
またSNSを利用するなど、若い世代に向けての情報発信にも力を入れている。


(写真)
「静岡県芸妓学校」は昭和62年に廃校となったが、今でも日本舞踊や唄、三味線や鳴物などの稽古が行われている。
普段は見ることのできない稽古風景を披露。訪れた客は、初めて見る光景に興味津々の様子だったそう。

グローバルに活躍する静岡芸妓

伝統の芸妓文化を守るのが熱海と伊豆長岡なら、新しい活躍の場を見いだそうとしているのが「清水芸妓置屋協同組合(静岡市清水区銀座11-12)」。清水港に寄港する外国客船を、芸妓がお出迎えするという、なんとも贅沢なセレモニーを演出したのだ。
また、同組合は静岡市の全面的な協力を得て、静岡伝統芸能振興会と連携を組み、芸妓の玉代(※)と車代の2分の1を補助するという補助事業をスタート。さらに、新人芸妓の育成にも注力。3年間の所得補償制度(月額20万円)や住宅手当制度を整備し、これからの花柳界の担い手を広く募っている。

※ぎょくだい。芸妓をお座敷に呼ぶ際に発生する料金のこと。「お花代(おはなだい)ともいう。

(写真)
平成28年9月。清水港に寄港した客船「セレブリティ・ミレニアム」でのステージ

静岡花柳界のこれから

熱海には現在、22歳の若手芸妓が所属。伊豆長岡には、平成28年2月の舞台に感銘を受け芸妓となった20歳の新人が1人。清水には、静岡伝統芸能振興会と連携を始めた平成24年からの4年間で、4名の新人芸妓が誕生した。
経済界や財政界のトップをもてなしてきた芸妓の技も、今は国内外の観光客も気軽に愉しめる文化となった。
日本人が誇りとする「おもてなしの心」はそのままに、芸妓文化も新しいフィールドでの活躍を見いだしていくに違いない。